これまで、母の病気の発症から入院、転院までの
2025年9月〜12月の出来事を書いてきました。
母の病気の発症から入院、転院までの経緯については、
別の記事で詳しく書いています。
今回はその続きとして、
同じ時期に大きく変化していった父(81歳)の状況について記録します。
体を動かすことが生きがいだった父
父は若い頃から走ることが好きで、
フルマラソンへの参加、地元の走友会の会長を務めるなど、
体を動かすことに生きがいを感じている人でした。
東京で会社員として働く傍ら、
毎朝20kmほど走ってから出勤する。
息子の私から見ても、
正直「信じられない体力」でした。
異変に気づいたのは77歳の頃
父の異変に気づいたのは、
定年からしばらく経った77歳頃でした。
私と一緒に、試験会場の責任者をしていた時のことです。
担当面接官への説明中、
ある面接官から
「何を言っているのか分からない」
と指摘を受けました。
この仕事は、父が40年以上関わってきたものです。
説明内容を間違えることなど、これまで一度もありませんでした。
車の運転にも現れ始めた変化
同じ頃から、
車の運転にも変化が出てきました。
・自宅駐車場での擦り傷
・店舗駐車場での接触事故
今までにはなかった出来事が増えていきました。
そのため、
車の運転は極力させないようにしていました。
ただ、当時は二世帯で同じ家に住んでおり、
母の足の状態が良くなかったため、
私がいない時は父が母を乗せて送迎や買い物に行っていました。
認知症の診断と、受け入れられない父
試験会場での出来事をきっかけに、
家族で父の認知機能を調べてもらうことになりました。
近所に住む姉が通っていた脳神経外科を受診し、
診断結果は、
アルツハイマー型認知症
+ レビー小体型認知症の併発
でした。
やはり、
認知機能はかなり低下している状態でした。
思い返すと、
70歳頃から父は匂いが分からなくなっていました。
病院でも原因不明と言われていましたが、
後になって、認知症との関連があったと知りました。
免許返納と、本人の葛藤
診断後、
すぐに運転免許を返納しました。
父は自分の認知機能の低下を認めていなかったため、
返納後は
「なんで返納しなきゃいけないんだ」
と、よく不満を口にしていました。
それでも、
高齢者の交通事故のニュースを見るたび、
返納してくれて本当に良かったと思います。
走れなくなり、増えていったトラブル
診断後もしばらくはジョギングを続けていましたが、
転倒して大きく出血することが何度かありました。
80歳を目前にして、
走ることがつらくなり、散歩に変わっていきました。
80歳を超えた頃から頻発したのが、
財布やクレジットカードの紛失です。
幸い、
毎回、善意の方に拾われ警察に届けられていました。
母は買い物を父に頼み、
父はメモを持って出かけます。
しかし、
鞄に入れるように言ってもポケットに財布を入れ、
自転車で出かけて落としてくる。
この繰り返しでした。
「働かなければならない」という現実
年金だけでは生活が厳しかったため、
母は80歳近い父に
「働きに出てほしい」と常に言っていました。
父もアルバイトを探し、
高齢でもいろいろな仕事に挑戦しました。
しかし、
認知機能が低下しているため行動が不自然で、
どの仕事も長く続きません。
深夜1時に出勤する父
最後に行ったアルバイトは、
79歳の頃の早朝清掃でした。
開始は朝5時。
自転車で20分ほどの場所です。
ところが父は、
深夜1時に家を出てしまいます。
遅刻したくないから、
3時間前に現地に行って待つ、というのです。
私は異変に気づき、
何度も探しに行きました。
父は
「時間に遅れるわけにはいかない」
と言い張ります。
要するに、
時間の感覚が完全に失われていました。
この仕事は、
私から強くお願いして辞めてもらいました。
母の入院で一気に進んだ認知症
そんな状況の中で、
母が入院しました。
それまでの父と母の生活分担は、
以下のようなものでした。
・朝食:母の指示で父が作る
・昼・夕食:母が作るか、父が惣菜を購入
・洗濯:父
・掃除:ほぼしない
・銀行・お金の管理:母
・買い物:母のメモを持って父が行く
高齢夫婦としては、
ごく一般的な形だったと思います。
料理ができない父と、限界
父はほとんど料理をしたことがありません。
私の記憶では、
年に一度ホットケーキを作る程度でした。
母は父に朝食作りをさせていましたが、
・段取りが分からない
・匂いが分からない
・味も分からない
その結果、
焦がしてしまうことが頻繁にありました。
深夜徘徊と、時間感覚の崩壊
母の入院後、
父の認知症は一気に悪化しました。
・深夜に外へ出ようとする
・自分の部屋が分からず、全ての部屋を開けて回る
・食事時間が完全にバラバラ
朝5時前にレトルトカレーを食べ、
夕方4時に夕食を食べてそのまま寝てしまう。
時間の感覚は、
さらにおかしくなっていきました。
「今から早稲田に行ってくる」
12月初旬、
仕事中の私に1本の電話が入りました。
父は
「今から早稲田に行ってくる」
と言います。
理由を聞くと、
昔世話になった会社社長の奥様が亡くなったとのこと。
おそらく、
喪中ハガキを見て思い立ったのでしょう。
現在の父が、
一人で電車を乗り継いで行くのは、
明らかに危険です。
仕事中でしたが、
急に行っても迷惑になるから今日は行かないように、
何度も説明しました。
父は納得していませんでしたが、
ひとまず外出は止まりました。
状況判断も、かなり危うい状態でした。
私が仕事の帰宅後確認すると、やはり喪中ハガキがあり、亡くなったのは7月のことでした。
12月までの父の状態
ここまでが、
2025年12月までの父の状態です。
母の入院と同時に、
父の認知症は想像以上のスピードで進行しました。
まとめ|「なんとか成り立っていた日常」は、簡単に崩れる
今回あらためて感じたのは、
高齢夫婦の日常は、どちらか一方が欠けるだけで一気に崩れる
という現実です。
それまで、
「なんとか回っている」ように見えていた生活も、
実はギリギリのバランスでした。
次は、
母の退院・転院と父の認知症が重なった中で、
家族としてどんな判断を迫られたのか、
そして
どこに限界を感じたのか
について書いていこうと思います。

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